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3種類のアノニミティ アノニミティ伝統の当初の目的とこれまでの実践 Tom P. Jr.

  3 種類のアノニミティ アノニミティ伝統の当初の目的とこれまでの実践   トム P ジュニア   「アノニミティは素晴らしい」とは手放しでは言えない。無私無欲のアノニミティは素晴らしいと間違いなく言える。しかし、好ましくないアノニミティ、明らかに悪いアノニミティというのも存在する。 12 ステップグループのメンバーならば誰でも、なぜアノニマスであるのか、どのようにアノニマスであるのかを理解していなければならない。 ボブ E は 1984 年に死去するまで、アルコホリクス・アノニマスの長老で、ソブラエティを長期にわたって維持していた。 AA に 11 番目に入ったメンバーだった。オハイオ州アクロンに住んでいて、そこで 1936 年に AA に初めて参加した。当時、「アノニミティ」は「無名性(詳しい個人情報を明かさないこと)」だと一般に理解されていた。現在の一般社会の理解では、「アノニミティ」は「顔を出さないこと」に近い。 ボブ E の死の直前、彼はオール・アディクツ・アノニマス (AAA) ニューヨーク州グループの仲間と分かち合いをし、彼が AA に入ったばかりのころの様子を語った:   私は一度もミーティングの司会をしたことはない(ドクター・ボブも一度もない。アルコホリクス・アノニマスの共同創設者であるビル・ウィルソンとドクター・ボブ・スミスは既に亡くなっているので、彼らのフルネームが公刊物に出てくるのはアノニミティの伝統を破ることにはならない)。マイクを持ってしゃべったこともない。私たちはただ、輪になって座った。最初の祈り、そして聖書朗読の後、静かな時間を持った。何を言うべきか、ガイダンスを求めて静かに祈った。その後、一人一人、順番に話した。必要な助けを求めたり、悩んでいることを話したり、何でも心にあることを話した。全員が話した後、お知らせがあり、それから手を取り合って主の祈りを唱えた。拍手というものはなかった。ああいう場所では、拍手はそぐわなかった。 おとなしくしていなければいけないというわけでもなかった。皆、ユーモアにあふれていたが、私たちにとって、回復とは生きるか死ぬかの重大なことだった。メンバーは皆ビジネスマンだったが、底つきをして、元の仕事、社会生活に戻りたいと願っていた。 最初の 5 年間、毎晩誰かの家に集まった

私の回復の経験 ゆき

  アディクトのゆきです。私のプライマリー・アディクションは、「恐れに支配される生き方」の依存です。つまり、人や物事を異常に恐れ、異常な見捨てられ不安、言うべき時に言えない、先行き不安満載など、そのような生き方にどっぷり浸かっていました。次には恋愛依存がありました。これから、私の回復への道のりを話したいと思います。  私は中学の時、暴言暴力的で支配的、それでいて共依存の母から自由になりたい、母の支配から自由になりたい、必ず、自分の人生は自分で勝ちとり自由になる、と決意していました。  しかし、現実はそんな思いとは逆で、 20 歳頃には、母の言いなりになっていました。母が怖くて言えない数々、自分の人生は自分でという思いがあるのに、それを貫けない自分がいて、とても辛かった。それでも、 23 歳の学生時、就職活動時期になり、地元に帰って来いという母に対して、ここで母の言いなりになったら、一生、母の支配になると思い、口から心臓が出てきそうなほど怖かったが、私は「絶対に帰らない。こっちで就職する」と言い切りました。母は来月からの仕送りはしない。学費も出さない。と脅して来ましたが、それでも、帰らないと譲らず、結局、母が諦めてくれました。これを機に母の私へのコントロールもなくなっていき、私は母から自由になっていきました。   30 歳を過ぎて、関東に引っ越し、いくつかの恋愛をしましたが、どれも健全な恋愛とは言えず、振り返ると無理して自分を偽っていた恋愛でした。そこで、なんか変かも?母の影響をまだ受けているのではないか?と思い、 AC の自助グループに行きました。しかし、定期的に通うことなく、何か思いつめると行くという状態でした。他にカウンセリングやインナーチャイルドワークも受けました。自分の意見を伝えれるようにとアサーティブトレーニングも行きました。自己啓発本や AC の本、依存症の本、沢山読みました。それなりの効果はあったようで、自分の自己評価はあがっていきました。そして、私は安心していました。  しかし、その後、現実は転落していきました。 40 歳前にして私は、離婚し、健康も失い、仕事もできない状態で、自殺願望が毎日の状態、かろうじて生きていました。そして、また自助グループに通いだし、少しずつ気持ちは楽になっていきました。そして、ある日、なんでこんなになったん

ミーティング参加にあたってのお願い

 毎週土曜日午前9:00-10:00、Zoomでオンライン・ミーティングをおこなっています。 参加を希望する方は、以下の参加にあたってのお願いを確認・同意の上、メールにて、Zoom IDとパスコードを問い合わせてください。 メールアドレス alladdictsanonymousjpn@gmail.com 参加にあたってのお願い AAAでは、12のすべてのステップを、真摯に徹底しておこないます。回復するためなら何でもする、つまり「4つの絶対」を原理として受け入れ、「12ステップ」を、「10のポイント」にしたがって、徹底して実践することを推奨します。 真摯に徹底してステップをおこない、回復するために、AAAでは以下のことを推奨しています。 ・12ステップをまだご存じのない新しい方は、参加後すぐにステップを始めることをお勧めします。ただし、強制はしません。 ・お顔をだしての参加。自己紹介、自分の問題を正直に話すことを推奨します。正直になることが回復のために最低限必要な条件だからです。「4つの絶対」の一番最初に「絶対の正直」があるのは、このためです。正直にならなければ、回復は絶対に始まりません。 ・聴くだけ参加は推奨しません。 ・メンバーは、アノニマス・ネームで参加しますが、アノニマス・ネームは、偽名やニックネームではありません。偽名・ニックネームの使用は推奨しません。一般的には、本名の下の名前を使います。 ・マルチタスク(他のことをしながら)のミーティング参加はお控えください。喫煙、食べながら、寝ながら、移動しながら、仕事しながらなど、他のことをしながらの参加は、控えてください。 ・遅刻しての参加はお控えください。途中退出が必要になる場合は、最初から不参加としてください。 ・司会や会計などの役割を担うのは、自分を「回復したアディクト(recovered addict)」と自認できる方です。 ・AAAのメンバーとして12ステップのシェアリング・パートナー(スポンサー)をおこなうのは、「回復したアディクト」を自認するメンバーです。 ・会費や謝金はありません。ミーティングを続けていくために、Zoomライセンスの経費がかかります。これを献金でまかなっています。献金の額や回数に関する決まりはありませんが、ご自分の状況と良心にしたがって献金してください。 ・ビジネス・ミーティングで投

私の回復の経験 あや その2

  私の回復の経験 あや その2 私が海外のホームグループ AAA に再度オンラインで参加し始め、黙想・祈り、一日の振り返りを真剣にするようになってから、霊的体験をしました。そして私は、 AAA の本家アメリカのグループにも参加し始めました。 AAA はもともとアメリカで始まりました。 1941 年に AA のメンバーになったトム P が、依存症の種類によってグループを分ける必要はなく、むしろあらゆる依存症に全方位的に対処しなければならないことに気づき、 AAA をつくりました。 北米 AAA ミーティングに参加したことで、私は 12 ステップ以上に、「 4 つの絶対」という回復の原理が重要であることを知りました。 4 つの絶対は、 AA の前身オックスフォード・グループで使われていた原理で、絶対の正直、絶対の純潔、絶対の無私、絶対の愛を指します。これらが、いつどのような時も、神の意志を示すものであり、行動の指針とすべきものです。 4 つの絶対を指針としなければ、 12 ステップを実践することはできないことに気づきました。 AA ビッグブックには、 12 ステップを実践する時、神の意志を実行せよと書かれていますが、神の意志とはどういう基準で判断すべきかは書かれていません。このミッシング・リンクが、 4 つの絶対なのです。「絶対」という言葉の響きに抵抗を感じた初期 AA のメンバーたちが、「 4 つの絶対」をビッグブックに入れることに反対したため、ビッグブックからこの大切な原理が抜け落ちてしまったのです。 また、北米 AAA で回復している仲間と出会い、本当に多くを学びました。私のホームグループの AAA 同様、ミーティングでの話題は、いかに回復し、回復を続けているか、それのみです。回復の助けにならないような話は全く出てきません。ミーティングに遅刻する人もいません。真剣にステップを実践している人たちの集まりです。 北米 AAA を介して知った Two Way Prayer (双方向の祈り)は、大きな恵みであり、私の回復の転機となりました。私は呼吸に集中する瞑想が得意ではありません。このため、毎日の黙想が苦手、苦痛だったのです。 Two Way Prayer で知った方法は私に合い、劇的に黙想の質が変わりました。まず自分の今の悩みや懸念を思い起こし、

私の回復の経験 あや その1

  私の回復の経験 あや その1   アディクトのあやです。私が依存症から回復し、回復し続けている経験を共有します。   私のプライマリー・アディクションは買い物依存症です。正確に言うと、脅迫的にお金を使うことです。セカンダリー・アディクションは砂糖依存です。ながらく、自分自身の人格に問題があるとは思いもせず、買い物依存による経済的問題のみを何とかしたいと思っていました。 30 代の終わり頃、さすがに自分の人生が全方位的に行き詰まり、どうやら自分自身に問題があるようだと思わざるを得ない状況になりました。私がまず助けを求めたのは心療内科医でした。自分の話を医師は聞いてくれましたが、向精神薬を処方されるだけで、何の解決にもなりませんでした。医師を責める気持ちはありません。医師は、治療として、私の人格に問題があると指摘したり、神の話や霊的な話をすることはできませんから、対症療法以外にできることはないのは、仕方のないことです。 その次に、私は宗教に助けを求め、キリスト信者になりました。しかし、ただ信者になって、漫然と教会に通っていることでは、何も変わりませんでした。これも、宗教や教会が意味がないのでは、もちろんありません。その時の私には、本気で自分を神に捧げ、変わろうとする気持ちがなかっただけです。 私はアルコール依存ではないので、 AA というものは全く知りませんでした。 12 ステップについても、聞いたこともありませんでした。ある時、心療内科医が、 AC の自助グループに行ってみてはどうかと提案してくれました。私が、自分の問題の根源は親との関係にあると診療のなかで話したからです。そこで私は、藁にも縋る思いで、 AC のグループに参加し、 12 ステップを初めて知りました。 しかしその後も、私は本気でステップに取り組むことを何年もしませんでした。今になって思えば、結局、自分の意志や判断はそれほど間違っていないはず、だから今後も自分の思い通りに行動して生きるのだ、という考えを手放していなかったからです。したがって、ステップワークも気の向くものしかせず、黙想・祈りは全くやらず、グループにもいかなくなり、回復しないどころか、どんどん悪化していきました。 数年後、私は仕事で海外に住むようになりました。現地の AA のメンバーから、 AAA とい

人生最後の日 トムP Jr.

  人生最後の日   Tom P. Jr.   もし、医者があなたの治療をあきらめ、自分でどんな対処をしてもうまくいかず、得体のしれない、おそろしい病がどんどん悪化しているとしたら、あなたはどうしますか?      うまくいっている普通の生活とは、このようなものだろう:体がそれなりに健康で、精神的、感情的バランスがとれていて、そこそこ快適な環境があり、家族や友人たちが嫌いではないこと。  こういった状況があると、私たちはそれを当然のことと思う。普通の生活とは、それが当然の権利だという無意識な考えのうえに成り立っている。  もし自分を宗教的な人間だと思うなら、これらの恵みに感謝するかもしれない。だが、私たちの態度というのはたいてい、ファリサイ人のそれのようなものである。つまり、自分がほかの人たちのような状態ではないことについて神に感謝するのだ。感謝の言葉がどんなに立派なものでも、そこには身勝手な態度がはっきり見える。  キリストは普通の生活を拒絶する:普通の生活とは、快適さを追求し、将来のことにばかり心を煩わせ、自己満足だけを重視するものだ。キリストはより高位なものへと私たちを招く:それはすなわち、普通ではない生活だ。  普通の生活のどこが悪いのか?普通ではない生活とは何か?それはどうやるのか?  27 か月前、病院のベッドで寝ていたとき、私はこれらの問い全てに、間違った答えを出していたことに気づいた。私の生き方は、性急に正しい答えを出そうとしていたようだった。   1964 年、私はアルコホリクス・アノニマス( AA )に参加し、飲酒の問題から解放された。大転換だった。私が AA に参加したことで、自分ではどうしても解決できなかったことが、簡単に、苦も無く手に入ったのだ。それは楽しいソブラエティだ。   12 ステップ( AA の回復のプログラム)は私の生活の指針になった。そして第 1 ステップはほかの何にもまして重要だった : 「私たちは、アルコールに対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた」。  飲酒をやめたばかりの不安定な状況で、私はこの敗北を認め、大きな解放感を得た。それは譲歩などではないことを神は知っている。過去数年の私のふるまいからして、私は敗北者であることを、自分でよくわかっ