人生最後の日 トムP Jr.

 

人生最後の日

 

Tom P. Jr.

 

もし、医者があなたの治療をあきらめ、自分でどんな対処をしてもうまくいかず、得体のしれない、おそろしい病がどんどん悪化しているとしたら、あなたはどうしますか?

 

 

 うまくいっている普通の生活とは、このようなものだろう:体がそれなりに健康で、精神的、感情的バランスがとれていて、そこそこ快適な環境があり、家族や友人たちが嫌いではないこと。

 こういった状況があると、私たちはそれを当然のことと思う。普通の生活とは、それが当然の権利だという無意識な考えのうえに成り立っている。

 もし自分を宗教的な人間だと思うなら、これらの恵みに感謝するかもしれない。だが、私たちの態度というのはたいてい、ファリサイ人のそれのようなものである。つまり、自分がほかの人たちのような状態ではないことについて神に感謝するのだ。感謝の言葉がどんなに立派なものでも、そこには身勝手な態度がはっきり見える。

 キリストは普通の生活を拒絶する:普通の生活とは、快適さを追求し、将来のことにばかり心を煩わせ、自己満足だけを重視するものだ。キリストはより高位なものへと私たちを招く:それはすなわち、普通ではない生活だ。

 普通の生活のどこが悪いのか?普通ではない生活とは何か?それはどうやるのか? 27か月前、病院のベッドで寝ていたとき、私はこれらの問い全てに、間違った答えを出していたことに気づいた。私の生き方は、性急に正しい答えを出そうとしていたようだった。

 1964年、私はアルコホリクス・アノニマス(AA)に参加し、飲酒の問題から解放された。大転換だった。私がAAに参加したことで、自分ではどうしても解決できなかったことが、簡単に、苦も無く手に入ったのだ。それは楽しいソブラエティだ。

 12ステップ(AAの回復のプログラム)は私の生活の指針になった。そして第1ステップはほかの何にもまして重要だった:「私たちは、アルコールに対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた」。

 飲酒をやめたばかりの不安定な状況で、私はこの敗北を認め、大きな解放感を得た。それは譲歩などではないことを神は知っている。過去数年の私のふるまいからして、私は敗北者であることを、自分でよくわかっていた。だが、普通の生活では、そんなことは考えられなかった。自信が徹底的に失われた時は、完全に打ちのめされている。病人や負傷者の状態だ。人生はうまくいっているというふりをしなければならなかった。現実にはうまくいっていないと分かった後もだ。それ以外に選択肢はなかった。

 AAが解決策を示してくれたおかげで、私は正直に自分の失敗に向き合うことができた。第2ステップ「自分を超えた大きな力が、私たちを健康な心に戻してくれると信じるようになった」は、私に欠けている力というのは、神のうちあるのだということを教えてくれた。自分を信じるということはうまくいかなかったが、神への信頼は私を救ってくれる。私は常に神を信じていた。AAでの最初の夏、私は新しいやり方で、神を自分の中に招き入れた。かつては、自分の行動は、自分が何をしたいかで決まっていた。だが、神が私に何をしてほしいかを見出すようにし、できる限りそれを実行しようとした。

 そしてそれはうまくいった。私はまず酒をやめ、やめ続け、生活はよくなった。そしてすぐに、若い私は、活動的になり、とても幸せになった。

 しかし、それは長続きしなかった。AAにくる人たちの多くが、この段階を経験している。オールドタイマーたちは、この状態を「ピンク・クラウド(雲の上に浮いているような、一時的に幸せな状態)」と呼ぶ。もしそれが非現実的な体験という意味なら、私はそうは思わない。最高に幸せな時間は有限であるからその状態は現実のものではないという、というのは間違いだ。AAに入りたての時に経験するこのハイな状態は、完全に現実である。ハイの次には、急激に「普通」の状態になるのだが、ハイな状態というのは、普通の状態よりも現実味のある経験だ。私の場合、初期の興奮は何か月かすると次第に、ほとんど気づかない間に消えた。それに取って代わったのは、飲酒や狂気への回帰ではない。危険ともいえるある種の状態だ:それは、普通の生活に慣れることだ。

 AAに入って1年、私はソーバーを続け、結婚し、妻は身ごもり、私は仕事をし、定期的に祈り、やるべきことをやっていた。かつての興奮は冷めたが、別にそれが嫌だというわけでもなく、特に気にもしていなかった。

 今振り返ると、その時に何が起きたのかよくわかる:ソブラエティの期間が続き、まともな生活が続くにつれ、私は自分の無力が、現在も変わらずに現実なのだ、という意識をどんどん持たなくなっていった。自分がいかに無力だったかは、はっきりと思いだすことができた。自分の生活をうまく取り仕切る力は自分にはなく、神の助けによって救われている、と口先では言っていた。しかし、ソブラエティの初期には、自分の無力を直接的に意識することは生活の指針となっていたのに、もはやそれは指針ではなくなっていた。

 私は成功体験と社会的成功の罠にはまってしまった。ちゃんと生活していることに問題があるわけではない。ちゃんとした生活の結果、自分を過信するようになり、神の恵みを自分の手柄と思いこむことに問題があるのだ。

 このちょっとした傲慢さは、誰もが経験する。私の経験もよくあるものだった。他のAAの人たち、教会の信者たちにさえも同じことが起きているのを何度も見た。

 キリストは、この罠のことをよくわかっているのだと思う。だからキリストは、正しいことをしているファリサイ人たちに対して非常に厳しかった(ファリサイ人たちは実際のところ、正しかった)。キリストは以下の言葉で、解決のヒントを与えた:「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口(あっこう)を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである」(マタイ5:11)。どうやら、謙虚さなしで霊的に生きることはできないらしい。私たちは快適と自己満足が過ぎると、自動的に謙虚さを失う。だからこそ、苦しみの試練が必要なのだ。パウロとバルナバの言葉を借りれば、「・・・わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」(使徒言行録14:22)。しかし私はそんな教えに動かされる状態ではなかった。

 幸運なことに、私は2年前にこの状態から抜け出すことができた。その時、私はAA7年間ソーバーを続け、教会に通い、3人の子供がいて、高校の英語教師をしていた。私の世間体は常に良かったが、私の霊的レベルはいつも低かった。

 数か月間、倦怠感と胸の痛みの発作が定期的にあった。5月に状態がひどく悪くなり、医者に行った。医者は心拍動を検査すると、救急車を呼んだ。私は病院の集中治療室に入れられ、心臓発作と診断された。周りの誰もが驚いた。私は32歳で、喫煙せず、定期的に運動していたからだ。私は密かにこの問題を自分なりに解決することに決めた。私は長年、ジョギングが趣味で、心臓の悪い人にはウォーキングやランニングがいいと本で読んだことがあった。医者がベッドから起きてもいいと許可を出す前に、私はこっそり自分の部屋を歩き回った。自宅に戻ると、すぐに早歩きで散歩をはじめ、ジョギングも少しした。

 しかし、自分の計画通りにはいかなかった。胸の痛みと倦怠感が続いた。73日の夜、私は強烈な発作におそわれた。痛みが強まるにつれ、呼吸がどんどん苦しくなった。小さな酸素吸入機は空になった。私は死ぬかもしれないと思った。救急車とともにやってきた医者は、私の状態を見ておびえた。私が生きて病院に到着したことに皆喜んだ。

 私のかかりつけ医がこのことを知り、また私の家族から、私が自分で勝手に運動をしていたことを知ると、医者は私のためを考えて率直に話した。医者がその時に会話で言ったことを全て覚えているわけではないが、こう言ったことだけは忘れない:「心臓がなぜ悪いのかはわかりません。手術で治るかもわかりません。でも、今のあなたの状態だと、いつ死んでもおかしくありません。5年生存するかもしれないし、6か月も生きないかもしれません」。

 医者が部屋を出ていった後、私はそこに横たわっていた。何を考えて、感じていたのか、わからない。まずやったことは、全てを頭から消し去り、ほかのことを考えること。だが、もちろんそんなことはできなかった。

 時間が経つにつれ、私の人生全てが、うまくいっていたはずの私の人生が、無意味で無駄だという何とも言えない感覚が、重くのしかかってきた。私は間違ったことにばかり時間を費やし、重要なことを全部ないがしろにしてきた。自分が優先してやってきたことを考えると、つらくなった。それは、ちゃんとした仕事があること、大学院での勉強、生命保険、生徒たち、同僚教師、上司、仕事仲間からの良い評価、そういったことだ。そんな空虚で無意味なことに生きる力を費やしてきたのだ。貴重で、限りある人生を。

 私は妻、子供たち、兄弟姉妹、父、母を愛しているということを彼らに知ってほしかった。自分がそう感じたということが重要なのではなく、彼らが愛すべき人たちで、愛されているということを彼らに言うことが、とてつもなく重要だと感じた。とりわけ、手遅れになる前に、神を愛していることを神に知ってほしかった(「手遅れになる前に」という部分を説明するのは難しい。とにかく、そう感じたのだ)。

 その夜寝る前、翌朝目覚めるかわからないという心の声がした。神の腕に抱かれた感覚があり、失望や恐怖はさほど感じなかった。私は自分の人生を神の手に委ねた。それはこれまでのやり方とは違った。AAに最初に来た時とも違った。AAに来たばかりのころに漠然と感じた真実というものに、真正面から向き合い始めた。そして手放した。私の人生は神からの贈り物だった。私がこれまでに所有していたもの、私がしてきたこと、全てが神からの贈り物だった。人生を含め、何でも与えられて当然のものという考えは、完全に間違っていた。神も、ほかの誰も、私に当然与えるべきものなど何もない。健康も、快適や安楽も、明日のいのちも。この気づきから、解放と自由を得た。

 私の日常生活がうまくいっていたので、自分はなかなかの人間で、自分は当然ある権利があるという考えを持ってしまっていた:例えば、家で子供たちが従順であるという権利、妻が愛情を持って良くしてくれるという権利、生徒からの尊敬、上司からの承認、などだ。

 すぐに、そういったことは全部真実ではなかったとわかった。私は何者でもなく、空っぽの入れ物で、そこに慈しみ深い神がいのちを吹き込んだのだ。生きているというのは偉大な奇跡であり、その奇跡がおこなわれている。その奇跡をおこなえる神は、必要なものすべてを与え、妻や子供たちにも与えてくれる。私が生きていようと、死のうと。私の野心、心配、不安、怒りは、全部無意味だった。蟻がゴールデン・ゲート・ブリッジの構造に困惑するのと同じくらい、ばかげたことだった。私の心拍の神秘に対して、私は無力だ。宇宙のより大きな深遠なはたらきは、理解できるものではない。

 あらゆる力は神のうちにある。私は神に降伏した。その結果、平安を得た。からだと心はその後数週間つらさを経験したが、私の魂は落ち着いた状態が続いた。

 神の恵みによって、私の健康状態は当初の予測よりも良くなった。18か月後、すっかり健康になった。

 だが、健康よりももっと大きな恵みが与えられた。神が病院のベッドで私に与えた教訓は、消えなかった。ずっと私のなかに残った。私は不完全な人間であり、様々な間違いを犯し続けている。しかし、自分への過剰な信頼という幻想にとらわれることはなくなった。私の人生は、私自身の無力さをより強く意識することで、よい方向に継続的に変わった。私は、飲んでいるときにだけ無力だったのではない。2年前に病気になったから、再び無力の状態になったのではない。私は今日、無力であり、私の人生のどんな些細なことも取り仕切り、コントロールすることは全くできない。今日の仕事をして、家族の面倒を見ることは、かつてと同様に今もちゃんとできている。だが、こうしたことができることは、かつては自分が達成したことと感じていたが、今はそうは思わない。

 自分が死ぬかもしれないと思った時、人生と神に対する態度が根本的に変わった。あの時、この態度を得て自分は癒されたが、それは7年前にアルコホリズムの悲惨さから解放された時と同じものだった。私がようやく学んだ。この態度というのは、危機的状態でつかんだ藁のようなものではない。これは私にとって、1971年の75日や、1964年の820日に真実であったように、毎日、真実であり続けている。

 どんな日でも、私の人生の最後の日であり得る。この事実を自覚して生きている限り、人生を与えられて当然のものと思うことはないだろう。普通の生活の罠には陥らないだろう。

 恵みというのは難しいことではない。ひとつの真実を意識するだけで気づく:神は全能である。私には力が全くない。私のすべては神が与えてくれたものである。このことに感謝し、日々、神に自分の人生を捧げて、お返しをする努力をすれば、幸せが得られる。私の人生というのは結局、神の贈り物なのだから。この道をよろめきながらも歩むと、私の人生には、全く新たな美しい世界が開けた。私にとって、そして全ての人にとっても同様に、真の宗教(神の国はこの地上にあるという直接的な経験)への扉は、日々新たに、心の底から、無力を認めることで開く。

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