私の回復の経験 あや その2

 

私の回復の経験 あや その2

私が海外のホームグループAAAに再度オンラインで参加し始め、黙想・祈り、一日の振り返りを真剣にするようになってから、霊的体験をしました。そして私は、AAAの本家アメリカのグループにも参加し始めました。

AAAはもともとアメリカで始まりました。1941年にAAのメンバーになったトムPが、依存症の種類によってグループを分ける必要はなく、むしろあらゆる依存症に全方位的に対処しなければならないことに気づき、AAAをつくりました。

北米AAAミーティングに参加したことで、私は12ステップ以上に、「4つの絶対」という回復の原理が重要であることを知りました。4つの絶対は、AAの前身オックスフォード・グループで使われていた原理で、絶対の正直、絶対の純潔、絶対の無私、絶対の愛を指します。これらが、いつどのような時も、神の意志を示すものであり、行動の指針とすべきものです。4つの絶対を指針としなければ、12ステップを実践することはできないことに気づきました。AAビッグブックには、12ステップを実践する時、神の意志を実行せよと書かれていますが、神の意志とはどういう基準で判断すべきかは書かれていません。このミッシング・リンクが、4つの絶対なのです。「絶対」という言葉の響きに抵抗を感じた初期AAのメンバーたちが、「4つの絶対」をビッグブックに入れることに反対したため、ビッグブックからこの大切な原理が抜け落ちてしまったのです。

また、北米AAAで回復している仲間と出会い、本当に多くを学びました。私のホームグループのAAA同様、ミーティングでの話題は、いかに回復し、回復を続けているか、それのみです。回復の助けにならないような話は全く出てきません。ミーティングに遅刻する人もいません。真剣にステップを実践している人たちの集まりです。

北米AAAを介して知ったTwo Way Prayer(双方向の祈り)は、大きな恵みであり、私の回復の転機となりました。私は呼吸に集中する瞑想が得意ではありません。このため、毎日の黙想が苦手、苦痛だったのです。Two Way Prayerで知った方法は私に合い、劇的に黙想の質が変わりました。まず自分の今の悩みや懸念を思い起こし、神のガイダンス(導き)を求め、それから聖書を開き、読みます。そして、聖書を通して神が自分にどのようなガイダンスを与えているかを識別します。聖書でなくてもいいですが、私はクリスチャンですので、聖書、特に新約聖書を使っています。これによって、神は私に何をしてほしいのか・してほしくないのかが、明確にわかるようになりました。神の意志がわかっても、おそれが生じて、行動したくない時もしょっちゅうあります。しかし、神を信頼し、その意志にしたがって、おそれを抱えながらも行動すると、必ず良い結果が得られることを体験しました。このTwo Way Prayerによって得た神の導き、それの実践を習慣化することで、私の回復の質は劇的に向上しました。

神の導きにしたがって行動したことのひとつが、日本語AAAグループの立ち上げです。私はずっと、日本語のAAAが必要だと思っていました。アルコホリクでも薬物依存でもなく、目立った依存症がなくても生きづらさを抱えて苦しんでいる人はたくさんいるからです。AAAでは、何の依存症か、依存症があるかないかさえも問題にせず、問題の根本である霊的な部分へとすぐにフォーカスすることができます。しかし私は、自分からAAAグループをつくるために行動することをずっとしていませんでした。大変そうだし、おそれがあったからです。そんな時、日本のAAのある仲間が、AAAに興味を持って、日本語のグループを立ち上げないかと持ち掛けてきました。私は言いくるめられた状態で、あれよあれよという間に、新たなAAAグループを立ち上げることになりました。怠惰でこわがりの私の尻を叩いてくれた仲間は、まさに神の導きでした。20219月、AAA日本語ミーティングをオンライングループとして始めました。ミーティングは、本気でステップをやる方の集まりとしてやっています。非常に質の高いわかちあい・サポート・奉仕がなされ、私を回復につなぎとめるアンカーのような存在になっています。

ミーティングの話をたくさんしましたが、回復はミーティングによってもたらされるものではないということを強調しておきます。ミーティングと回復の直接的な関係は全くありませんし、ミーティングは12ステップ・プログラムの一部でもありません。ミーティングはいわゆるフェローシップであり、12ステップ・プログラムの実践をサポートするためのものです。ステップワーク=ミーティングに参加すること、と考えていると、回復はしません。ステップワークは、ミーティング以外の時間で、自分一人でおこなうものだからです。ですから、ミーティングに出ることは絶対必要条件ではありません。

 

回復後の私の人生は一変しました。まず、自分の抱えている問題は、生い立ち、家庭環境、親、配偶者、子供、同僚、時代、先天的な能力、姿かたち、病気、障がいなどのせいではなく、全て自分が引き起こしたこと、自分に責任であることを認めました。家庭環境に問題があっても、18歳くらいの大人になれば、自分の環境・人生は自分でいくらでも変えることができます。大人になってからも、依存症などの問題があるということは、自分が大人になっても努力をせずに、間違った生き方を選び続けてきた結果でしかないのです。これを心の底から認めてからは、他人のせいにすることを一切やめました。結局、私自身が私を苦しめ続け、さらに周囲にも迷惑をかけ続けてきたのです。私は、ビッグブックのいう「新しい自由」というのが、「誤った選択をし続けてきた自分自身から自由になること」だとわかりました。この時ようやく、私は自分の人生に責任を持ち、本質的に大人になれました。

また、神の意志にしたがって行動する習慣が身についたことで、おそれや自己中心的な動機で行動することがなくなり、他人との人間関係のトラブルを起こすことが激減しました。被害を与えた人たちには、自分の過ちを正すアメンドをおこないました。謝って済むような問題ではないこともたくさんあります。それは、自分自身の生き様を変え続けることで、アメンドをするしかありません。これは死ぬまで続くアメンドです。とにかく買い物をしたい・お金を使いたいという強迫的衝動も起きることがほとんどなくなりました。それどころか、モノが自分の人生を不自由にしていることに気づき、極力モノを持たないミニマリストになりました。自分のことよりも、神の意志をおこなうことに関心が向き、それに時間や労力を使うようになりました。お金の問題もなくなりました。これまで全くなかった金融の知識を勉強し、将来のことを考えた財政を計画し、支出の見直し、不要な保険の解約などをしました。家も自分の身の丈に合う家に引っ越しました。回復しても、自分の思い通りに事が運ぶわけではありませんから、自分にとって都合が悪いことはしょっちゅう起きます。その時には、即座に神の意志を識別することで、ネガティブな感情をすぐに処理できるようになりました。買い物の衝動が起きた時も同様に、神の意志を識別し、じっくり時間をかけて考え、本当に必要なものや自分の人生に価値をもたらすものだけを買うという習慣が身に付きました。かつては、ただ生きていることがつらい、という日々でしたが、今はそういうことは全くありません。何が起きても、神への信頼があるので、回復の原理をつかえば、自分は大丈夫という信頼感・安心感があります。回復してからは、自分が社会の中で、神の目から見て重要な仕事をし、人に奉仕し、世の中の役に立っているという実感があります。神様に私はこの世で役割を与え、それを実践すべく私は生かされています。このことに毎日感謝しています。

回復は終わりのない、成長の旅です。依存症は完治はしませんので、二度とやらないという保証はまったくありません。ですが、回復した状態を維持することはできます。それには、絶えざる意識と行動の努力が必要です。朝起きたら、黙想をし神の導きを求めて、それにしたがえるように祈ること。起きている間は、一分一秒、自分を観察watchし続けること。おそれや怒り、何らかのネガティブな感情が出てきたら、それは自分が引き起こしたものであることを自覚し、どこに自分の誤りがあるか、すばやく整理して、神の意志は何かを求めること。そして、神の意志にしたがって行動すること。自分の損得を考えず、人の役に立つことをすること。夜寝る前に一日の振り返りをし、神に感謝すること。

依存症全開の時期には、買い物や過食が、やめたいのに、やめられない、と思っていました。ですが、それは嘘であり、事実は、やめたくないし、やめない、だったことに回復してから気づきました。依存症の場合、精神疾患・精神障がいなどの病気で困っている場合も、自分にはその状態しか選択肢がないと思っています。しかし、それは思い込みです。選択肢はいくらでもあるのに、自分が主体的に、その状態を選んでいるのです。精神疾患・障がいなどの病気そのものは選んだわけではないのですが、病気の症状にどう対処するか・行動するかには、いくらでも選択肢があります。自分が神の目から見て間違った選択を主体的に選ぶのか、あるいは神の意志にかなう行動を主体的に選ぶのか、選択肢はいつでも自分にあります。回復は自分で主体的に選び、行動するもの。だから、誰でも、その気になれば回復できるのです。自分自身ではなく、神への全面的な信頼、それがあり、行動すれば、回復は誰でもできます。

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