私の回復の経験 あや その1

 

私の回復の経験 あや その1

 

アディクトのあやです。私が依存症から回復し、回復し続けている経験を共有します。

 

私のプライマリー・アディクションは買い物依存症です。正確に言うと、脅迫的にお金を使うことです。セカンダリー・アディクションは砂糖依存です。ながらく、自分自身の人格に問題があるとは思いもせず、買い物依存による経済的問題のみを何とかしたいと思っていました。

30代の終わり頃、さすがに自分の人生が全方位的に行き詰まり、どうやら自分自身に問題があるようだと思わざるを得ない状況になりました。私がまず助けを求めたのは心療内科医でした。自分の話を医師は聞いてくれましたが、向精神薬を処方されるだけで、何の解決にもなりませんでした。医師を責める気持ちはありません。医師は、治療として、私の人格に問題があると指摘したり、神の話や霊的な話をすることはできませんから、対症療法以外にできることはないのは、仕方のないことです。

その次に、私は宗教に助けを求め、キリスト信者になりました。しかし、ただ信者になって、漫然と教会に通っていることでは、何も変わりませんでした。これも、宗教や教会が意味がないのでは、もちろんありません。その時の私には、本気で自分を神に捧げ、変わろうとする気持ちがなかっただけです。

私はアルコール依存ではないので、AAというものは全く知りませんでした。12ステップについても、聞いたこともありませんでした。ある時、心療内科医が、ACの自助グループに行ってみてはどうかと提案してくれました。私が、自分の問題の根源は親との関係にあると診療のなかで話したからです。そこで私は、藁にも縋る思いで、ACのグループに参加し、12ステップを初めて知りました。

しかしその後も、私は本気でステップに取り組むことを何年もしませんでした。今になって思えば、結局、自分の意志や判断はそれほど間違っていないはず、だから今後も自分の思い通りに行動して生きるのだ、という考えを手放していなかったからです。したがって、ステップワークも気の向くものしかせず、黙想・祈りは全くやらず、グループにもいかなくなり、回復しないどころか、どんどん悪化していきました。

数年後、私は仕事で海外に住むようになりました。現地のAAのメンバーから、AAAというグループがあり、ここはどんな依存症でもいいらしいよ、という話を聞いていました。しかし私はしばらく、そのグループには行きませんでした。恐れがあったし、やはり自分の思い通りに生きたいという思いが優先でした。

そうこうしているうちに、ついにこれまでに最悪の底つきがやってきました。お金を使い果たしてもうないのに、それでもなお、さらにお金をつかうことをやめないのです。今後こそ、本当に人生がおしまいになる、仕事もこのままでは失う、あとは自殺しかない、という状況になりました。しかし、過去に自殺未遂をしたことがありましたが、結局完遂せずにやめたので、自分はどんな状況になっても、自殺はしないということもわかっていました。その状況で私がすがるものは、12ステップグループしかありませんでした。そしてAAAのミーティングに参加しました。

AAAとは、オール・アディクツ・アノニマス、というグループでした。どんな依存症でも構わない、依存症の種類や内容を問わないグループです。初めてのミーティングで、仲間が話している内容に衝撃を受けました。いかに自分が回復を続けているか、それは具体的にどのようにやっているか、全ての分かち合いがそういった内容でした。これが本当の回復なんだ、ということがすぐにわかりました。これまでに参加してきたミーティングでは、愚痴や自分がいかにダメかという話がほとんどでした。AAAの力強さに魅了され、毎週欠かさず、ミーティングに通いました。気分的には上向きましたが、すぐに嗜癖行為をやめることはしませんでした。

しばらくして、AAAの回復している仲間にシェアリング・パートナーになってもらい、ステップワークを一緒にしてもらいました。ステップワークのなかで、ずっと忘れない経験がふたつあります。ひとつはステップ3。私とシェアリング・パートナーは、いつも教会の横にあるカフェで会っていました。ステップ3をやる時、パートナーは私を教会堂の中に連れていきました。パートナーは仏教徒ですが、私がキリスト者であることを知っていたからです。二人でひざまずき、私はステップ3の祈りを唱えました。この日のことは、忘れません。

ステップ5をおこなうとき、日曜日の早朝、パートナーは私を広い自然公園に連れていきました。そこは山で、ほとんど人がいない場所に行き、ベンチに座り、ステップ4の内容をわかちあい、ステップ5をしました。その後、パートナーは私をそこに残し、一人でじっくり黙想するように言い、その場を離れました。約1時間後、パートナーは戻ってきて、何か隠していることや、言い残していることはないか、尋ねました。私は、ない、といいました。パートナーはライターを取り出しました。私は、ステップ4の棚卸しの紙を、その場に設置されているバーベキューの鉄板に入れて、火をつけ、燃やしました。この日のことも、忘れません。

その後私は日本に帰国し、日本のグループには参加せず、ステップも真剣にやらなくなり、回復しているとは言えない状況が続きました。悶々としているうちに、世界はコロナ禍となりました。AAAグループは、オンラインのグループとして新たにやっていくことになりました。私も再び、日本から参加できるようになりました。他の国に散らばっていた仲間たちも再び参集しました。

AAAに再び参加したこと、そしてコロナ禍の初期でずっとステイホームしている時期でやたらに時間があり、自分と向き合うことをしたので、私はしばらくやっていなかった黙想を再開しました。しばらくすると、自分の内側から、ある思い・声が、湧き出てきました。「一体、何十年も、おまえは何をやっているんだ」。これが、私の霊的体験でした。その時は、これが霊的体験だと気づきませんでしたが、後になって、そうだったことがわかりました。

その後、私は自分が買い物依存で溜め込んできた持ち物を、片っ端から手放し始めました。服、靴、かばんなどに始まり、食器、家具、車。そして不必要に大きな家から、小さな家へ引越しました。これから数年かけて、私は普通の人よりもはるかに持ち物が少ない、いわゆるミニマリストになりました。

そして同時に私が始めたのは、日本語AAAグループの立ち上げです。

つづく

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