なぜ4つの絶対なのか?

             なぜ四つの絶対なのか?

Why the Four Absolutes?

Tom P.

この懐疑主義者は、(AA初期にあった)元の原理が、どれも時代遅れに色褪せてはいない事実にやっとたどり着いた。「四つの絶対」は、その当時いつもあったままに今もある、(AA12ステップ)プログラムの基礎なのだ。自由、喜び、平和へ至る、最短かつ確実な道なのである。

 

私はオール・アディクツ・アノニマスのメンバーだ。何年か前に、アルコホーリクス・アノニマスで、アルコールからの回復を見いだした。私に伝えられた回復プログラムは「12のステップ」だった。これらは、私の人生を、病的な飲酒、利己主義、堕落の道から、精神性、奉仕、喜びの道へと変えた原則であった。AAミーティングに参加してから数ヶ月後、あるミーティングで「四つの絶対」という言葉を耳にした。その人の話によると、AAの初期の頃は、この「絶対(Absolute)」が大きな意味を持っていたそうだ。「なるほど、そうかもしれない」と思った。しかし最初に触れたときは、特に印象には残らなかった。

12ステップ」は、明確な行動指針であり、(一連の)やるべきことだ。しかし、「四つの絶対」は捉えどころがなく、生き方への適用も難しいように思えた。誠実正直、清廉純潔、無欲無私、そして愛・忠誠という資質は確かに良いものであり、努力すべきものだ。が、漠然とした良い意図を実行していくやり方は思い浮かばなかった。だいいち「絶対」という修飾語は不可解だった。これはどういう意味なのか。絶対的に誠実で、純粋で、無欲で、愛に満ちた人間になろうとすること?それとも、これらすべてにおいて完璧になったと主張することなのだろうか?もし後者であれば、私にはその気がなかった。しかし前者であっても、それが「宗教上の希望」や「実現できない夢」以上のものになるとは思えなかった。

しかし、その男は、AAの草創期において、「四つの絶対」はAAでの回復のプラットフォーム(基盤)をなしていたと言った。意識して自分の生き方に適用しようとするほどの興味はなかったが、その歴史を少し調べてみる程度は興味がわいた。調べてみると、AAが「四つの絶対」を考案したのではなく、1935年にAAが誕生した際、福音主義キリスト教運動であるオックスフォード・グループから引き継いだものであることがわかった。オックスフォード・グループの創始者であるフランク・ブックマンが「四つの絶対」を強調していたこともあり、1930年代半ば、オックスフォード・グループのメンバーの多くは、「四つの絶対」を自分たちの生活の基本的な指針として噓偽りなく大真面目に考えていた。

ビル・ウィルソンとドクター・ボブ・スミスは、「アルコホーリクス・アノニマス」の共同創始者になる前、ともにオックスフォード・グループに所属していた。AAは最初の2年間、正式な名前もなく、独立した存在でもなかった。オックスフォード・グループ内の回復しようとしている酔っぱらいの集まりであり、「四つの絶対」はその回復プランの要であった。実際、当時「四つの絶対」こそ「(AA)プログラム」だった。ステップはまだ確立されていなかったのである。ビルとボブは「四つの絶対」によって飲酒がとまったのである。他の初期メンバーもそうだった。「四つの絶対」は、ステップが書かれるところまでAAを導いてくれた。

1937年、AAはオックスフォード・グループから分離し、単独で世に広がり始めた。当時のAAは、会員数が100人にも満たない小さな運動であった。ドクター・ボブの故郷であるオハイオ州のアクロンと、ビルの住むニューヨークに主に2つのグループがあった。実は、1937年にオックスフォード・グループと決別したのは、ニューヨーカーだけだった。中西部の人たちは、あと2年ほどオックスフォード・グループとの関係を維持していた。そして、ニューヨークのグループでは、この頃から「四つの絶対」がなくなっていた。1939年に出版されたAAフェローシップの公式テキストである『AAビッグブック』には、AAリカバリープログラムの一部としてさえも「四つの絶対」は言及されていない。「ビッグブック」の主執筆者であるビルは、後に「四つの絶対」を6ステップと7ステップに組み込んだと語っている。しかし、アクロンでは、多くのAA「四つの絶対」AA回復プログラムの根本とみなし続けていた。ドクター・ボブ自身も、生涯にわたって「四つの絶対」の信者だった。1948年に行った彼の最後の主要なAAスピーチでは、次のように言っている。

 

私たちが「四つの絶対」と呼んでいたものは、ステップ以前の初期の頃に私たちが持っていた唯一の基準でした。この「四つの絶対」は今でも有効であり、非常に役立つものだと思います。疑問が生じ、正しいことをしたいと思っても、その答えが明らかでないことがあります。ほとんどの場合、自分の決断を絶対的な正直さ、絶対的な無欲さ、絶対的な純粋さ、絶対的な愛という基準で慎重に見つめ、その四つによく合致していれば、その答えは道から大きく外れることはないでしょう。

...しかし、もし、私たちが第一ステップを踏み出せなかったとしましょう。

... これは、絶対的な純粋さの欠如が関係しています―考えの純粋さ、動機の純粋さ。

...あなたがよく知っているように、絶対的な愛は他のすべてを包括するものです。絶対的な愛を持つことはとても難しいことです。私たちの誰もがそれを完全に手に入れることはないと思いますが、だからといって手に入れようとしないということとは違うのです」

 

ドクター・ボブの発言は、"絶対 "という言葉に関する私の疑問に答えてくれた。それはコミットメント(全身全霊を捧げて実行する)という原理であって、完璧さを求めるものではないことは明らかだ。ドクター・ボブの発言は、私の「四つの絶対」に対する尊敬の念を深めてくれたが、それでも私は「12ステップ」のように「四つの絶対」とつながることはできなかった。この時期に一つだけ、「四つの絶対」との接点を保つことができたのは、(「四つの絶対」の)『絶対の正直さ』を弱めて表現した、ビッグブックに残された「厳しい正直さ」という概念だ。私が参加していたAAミーティングでは、「厳しい正直さ」について定期的に話し合われていたし、私は自分のすべての出来事において、誠実にそれを実践しようとしていた。

しかし、ある日突然、私は「四つの絶対」と全く新しい関係を築いた。そのきっかけとなったのは、ある会話だった。えてしてAAプログラムに2人以上の人間が参加して集まったときに予定外に起こる、あの掛け値なしのセッションである。ある日の午後、2人のAAの友人と私は座って話をした。どういうわけか、「四つの絶対」の話になった。そのうちの一人は、初期の頃からAAに参加していて、「四つの絶対」を強く信じていた。彼が中心となって話を進め、私たち二人はそれを聞いていた。それまで私には理解できなかった、この4つの巨大な命題の裏にある「どうすればいいのか?」を掘り下げていくうちに、私の興奮は高まっていった。それぞれの「絶対」が明確になってくると、私たちはその内容を簡単に書き留めた。その結果、次のような文章ができあがった。

 

1. 絶対の正直

 嘘をつかない、だまさない、盗まない 

2. 絶対の純潔

 心の純潔、身の純潔、純情、純心、性的純潔

3. 絶対の無私

 - すべての場面において、自分が何をしたいかではなく、正義と真実を追究する

4. 絶対の愛

 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、神を愛し、隣人を自分自身のように愛する

 

こうして明確にしてみると、私にとって世界は大きく変わった。日常的に「四つの絶対」を意識して実践することができるようになったのだ。

絶対(Absolute)という言葉がポイントで、重要なのは「コミットメント」だ。その日の自分のパフォーマンスを予断せずに、絶対の正直、絶対の純潔、絶対の無私、そして絶対の愛を目標にする。そうすれば、自分の考えや言葉、行動を測るための適切な基準ができ、その日何かが起きるごとに自分の判断を導くことができる。この「四つの絶対」に照らし合わせてみると、私の最近の大きな問題が浮かび上がってきた。私は、以前、「四つの絶対」に対して皮肉を言っていたため、大きな代償を払ってしまったようだ(他のAAの人たちも同じような代償を払っていた)。私にとって12ステップだけでは十分ではなかった。自分ではうまくやりたいと思っていても、「アブソリュート」という基準がなければ、ステップを完全に、そして忠実に実践し続けることはできないことがわかった。飲みはしなかった。しかし私は自分の意志と自己欺瞞に満ちた生活スタイルに戻ってしまい、健康を損ない、心の平穏を失った。働きすぎで、あらゆる面で過剰な活動をしていた私は、入退院を余儀なくされ、その後間もなく、何年も問題を棚上げにしていたり、あるいは不十分なステップだったり、自分を欺いていた問題のために、結婚生活が破綻した。

私は7年間禁酒していて、12のステップを真剣に実践していたが、自分の人生がめちゃくちゃなことに気がついた。感情面でいえば、お酒を飲んでいるときでさえ、これほどのプレッシャーを感じたことはなかった。この時代、親戚や友人(AAの友人を含む)から、相反するアドバイスを受けることが多くあった。周りの人に頼れない自分がいた。周りの人たちは皆、バラバラのことを言っているように見えた。そこで、私は最初の原理に立ち返らざるを得なかった。そして、すべての原理の中で、「もっとも最初」の原理である「神」に立ち返ることになった。実はずっと前から、経験としては、私は自分の感情が何と言おうと、自分に対する神の意志を見つけ出し、どんな犠牲を払ってでも、できる限り神の意志を実行するようにしなければならないことを知っていた。そうしないと、生き残れない、断酒も正気も保てないからだ。

絶対正直、絶対純潔、絶対無私、そして絶対愛という基準に日々照らし合わせれば、普通の基準では絶望的に解けない私の決断や人生の取り決めが、ことごとく解決できることに気がついた。「四つの絶対」を「宗教上の希望」や「実現できない夢」と軽視していた私だったが、「絶対」以外では、もはや何も解決できなくなっていた。その数週間、数ヶ月の間、私は常に気分が良かったわけでも、あるいは良く見えたわけでもなかったが、神の恵みにより、何かおかしなことや破壊的なことをすることなく、人生で最も厳しい試練を乗り越えることができた。

私は以前とはすっかり違う人間になった。「四つの絶対」を取り入れてから最も顕著な違いは、神と真理への信頼がはるかに深くなったことだ。もう1つの大きな違いは、日々の緊張度が下がったことだ。私は以前から「(AA標語の)Easy does it気楽にやろう」という言葉を耳にしていた。しかし人間としての限界に、「絶対的な正直さ」をもって向き合うまでは、結局実践することができなかったようだ。実際にやってみると、自分があまりにも誤った楽観主義によって他人を傷つけ、自分自身も傷ついていたことがわかった。自分の計画に抵抗する人や出来事はみな強引に従わせるのが常で、自分なら達成できると自分を過大評価していたのだ。しかし、自分の頭でなんとかしようと考えずに行動できるようになると、健康状態が徐々に改善され、それに伴って人間関係も良くなった。今では、自分にとって絶対に必要なものは「四つの絶対」だと思っている。それは、霊的な基礎にたった生活を送りたいと願う現代人にとっても同じだと信じている。

AAの歴史の中では、12ステップの前に「4の絶対」基準があった。そして今日でも、それは最初に来る。ステップが完全に効果的であるためには、「四つの絶対」の光の中で作業しなければならない。AAビッグブックの第5章では、ステップを成功させるためには、「厳しい正直さ」が必要であると指摘されている。また、ビッグブックには、他人を助けることで、他のすべてが失敗したとき、こころ揺れるアルコホリクでも、しらふの状態を保つことができると書かれている。他人を助けることの素晴らしい点は、絶対の無私と絶対の愛の方向に、まっすぐ向かえることだ。「絶対の純潔」についてこそ、ビッグブックでもっと語られていたらいいのにと思う。フランク・ブックマンとオックスフォード・グループのメンバーは、特に性的な純潔について多くを語った。AAの人々は、性の分野での過ちを、あからさまに話すことは不適切だし、話しづらく感じていた。もちろん私も、性生活についてなどは、どこでどのように話し合うかに注意しなければならないと心から思う。しかし同時に、「礼儀正しく」という言葉は、自分の良心や聖典、そして時代の霊的な知恵を隠れ蓑にして、利己的で有害で間違っていると非難されるべき性行為に固執し、偽りの自己正当化をするための言い逃れや隠蔽になりがちであることはよほど注意しなければならない。この分野での強迫観念は、酒を含めた他の分野と同様に強力だ。神の恵みに支えられている限り、私たちは破綻しないでいることができる。これほど明白なことはない。この12年間、私は何百人もの人々と話をしてきたが、その多くは禁酒しているAAの人たちで、性の問題のために彼らの霊的信仰は悲劇的に台無しになっていた。私自身の場合、セックスの分野は他のどの分野よりも警戒し、神の助けを求めなければならなかった。

「四つの絶対」を無視して避けていた頃、私は「絶対」を達成できない抑圧的な基準と捉えていた。「四つの絶対」に注意を払えば払うほど、自分の欠点を指摘されて、ますますイライラしてネガティブになる感じがした。しかし、実践を積むうちに、それは逆に作用することがわかってきた。この5年間、私は「四つの絶対」を実践し続けている。それまでの人生にはなかった平和、明瞭さ、自己肯定感を経験した。この世で最も惨めな意志薄弱者であっても、最高の聖人と同じように完璧を目指す自由がある。私たちの限界がどのようなものであっても、神はそれを私たちよりもよく理解しているのだ。私たちは失敗しても落胆してはいけない。

しかし、自分の弱さに負けたり、それに合わせて自分の基準を下げてはいけない。私たちが神の意志に無条件に身を任せ、そのコミットメントを地道に毎日繰り返し更新していくならば、神は決して、私たちが自分の弱さに対処するために必要なだけの助けを拒むことはないのだから。

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