Strong AA by Tom P. 1986年 全訳

 

STRONG AA”

ストロングAA

 

トム P.

1986619日のAAAミーティングにおいて

 

オール・アディクツ・アノニマスは、アルコホリクス・アノニマスのプログラムをあらゆる依存症に援用したものである。アディクトの生き方は、アルコホリク、薬物依存症者、抑うつ依存者、摂食障害者だろうが、さして変わりはない。実のところ、依存物質や状態の違いで人生が変わることはない。簡潔に言うと、オール・アディクツ・アノニマスはそのように考えているグループである。

しかしながら、AAAの生き方を実践する方法は、いくつかある。アルコホリクス・アノニマス、ギャンブラーズ・アノニマス、ナルコティクス・アノニマス(薬物)、オーバーイーターズ・アノニマス(過食)などの早期から存在する主要なグループでは、当初から最大限の自由が認められていたばかりでなく、むしろ推奨されていた。自分が好きなようにプログラムを実践したらよいとされてきた。

この自由と同時に、メンバーになるための条件も存在した。もともとは、酒をやめたいという「正直な」願いが条件だったが、後になって、酒をやめたいという願いだけに変更された。条件はそれだけになった。

それはプログラムを成功させるための必要条件ではないことは、よく注意したほうが良い。プログラムで成功するための要件はかなり多い。それらはすべてAAビッグブックの第5章に明記されている。これを私たちのグループは10のポイントと呼んでいる。それに4つの絶対を加えると、プログラムで成功するための要件が揃うことになる。

プログラムをどう行うかに関しての自由度の高さは、多少なりとも文明的にふるまえる人であれば、ほとんどの人が参加できるという敷居の低さのメリットがあった。同時に、「成功するためには、このプログラムをどのように実行すればよいのか」について、自分で決定するという余地を各自に与えてしまった。

私の場合、この自由さにかこつけて、プログラムの大部分に異論を唱えたために、とんでもない目に遭い、のたうち回り続けた。まずいきなり、神という考え方にぶちあたり、「これは自分には無理だ」と思った。他のAAのメンバーたちは、「興奮するな、気楽にやれ。心を開いて、自分の道を進めばいいんだ」と言った。

だから、気楽に自分の道を歩んでいった。しかし心は開かなかった。そして、この神様というやつを避けて通る方法があるのなら、それを実行しようと思った。その結果、1年後にリラプスした。他のメンバーたちはそれを良いことだと言って祝った。私は、議論をせず、ただ自分の好きなようにやるというスタイルをとってしまった。このスタイルは、私がAAに入った1941年当時、「カフェテリア・スタイル」と呼ばれていた。

プログラムへどの程度コミットできるかは、最初から予想できるものではない。ある人はプログラムの半分をやることにし、あるいは3分の1、あるいはほとんどやらないという人もいる。

 

みんなをソーバーにしたもの

私は、寛容なやり方が賢明でないと言っているのではない。このプログラムをまとめたきょうだいたちは、依存症者に対して深い同情心をもっていた。彼らは依存症者たちに規則を課したくなかったので、全体としてプログラムは提案として示された。しかし、もしメンバーがこのプログラムを正しく理解せず、提案を義務として、つまり実際に実践すべきこととして受け止めなければ、その人は死ぬだろう。どのように律するかは個人にゆだねられてしまった。メンバーが正しい方向を選ばなかった場合は、ジョン・B・コーンが太い棒を持って待ち構えていて、その人の背骨を折るのだ。

1935年、フェローシップが軌道に乗り始めた頃、プログラムとは、オックスフォード・グループの「4つの絶対」そのものだった。それだけであり、それこそがプログラムだった。それによって全員がソーバーになり、全員がそれを伝道し、全員がそれを実践した。1938年の終わりには、それによって100人が断酒に成功した。それ自体はたいしたことではないと、その100人は承知していた。

1938年に突然、クリーブランド・プレーン・ディーラー紙に論説委員がAAについて毎日社説を書くようになった。すると町中が大騒ぎになった。誰もがこのことを話題にし、電話をかけた。「どうやったらAAに連絡が取れるんだ」と。当時、クリーブランドには4550人のメンバーがいただけだった。そこで、ニューヨークのAA本部に連絡が殺到した。山火事のようにあっというまに全国に広がっていった。

そして、メンバーたちはフェローシップを結集させたビッグブックを書き上げた。12ステップが初めて登場したのは、ビッグブックだった。12ステップは、この本のために書かれたのである。12ステップは、4つの絶対を実践してきたメンバーたちのそれまでの経験をまとめたものだった。

 

自分流のやり方

ビッグブックが書かれるまでは、このプログラムに参加したら何をするのか、文章にはされていなかった。すべて口伝えで、4つの絶対、自分自身に正直になること、償いをすること、どんな神であれ祈ること、などが語られていた。しかし、ビッグブックが出版され、12ステップが発表されると、大体何をすべきか、完全な説明が得られた。

クリーブランドでの爆発的な増加で、メンバー数は100人から700800人に増えた。その後、ジャック・アレクサンダーによる有名なサタデー・イブニング・ポスト紙の記事が掲載され、一夜にしてAAは国際的な存在となった。それが1941年で、私がAAに来た年だ。この年、フェローシップは2,000人から9,000人に増えた。

その爆発的増加の真っ只中で、何をすべきかについて非常に具体的な指示を与えるスタイル(提案としては語られず、プログラムをやらなかった場合にどうなるかということについてもあまり語られなかった)から、この「自分流のやり方」というスタイルに変わった。極端な寛容さが出てきたちょうどその頃、私はAAに出会った。それ以前は寛容さのようなものはなく、実際はその真逆だった。

1976年、私たちは『24 マガジン』に、これらのこと、フェローシップに起こったこと、そして3種類のAAメンバーについて記事を書いた。その記事は「グレシャムの法則とアルコホリクス・アノニマス:悪貨は良貨を駆逐する」というタイトルである。私は今でも、この記事は状況を正しく表していると思うし、皆さんに読むことをお勧めする。

AAメンバーにはおよそ3種類いる。ストロング(強い)AAは、プログラムを真剣に受け止め、言われていることをそのままの意味に受け取る。ステップを提案として受け止めながらも、ステップがどれほど真剣な意味を持っているか、侮ったりしない。第5章に書いてある通り、「最初から思い切って、徹底してやる」。

ビッグブックの筆者たちは、適当に書いたり話したりしていたのではない。だから、これらの提案については、瀕死の子どもに対し、強い口調は使わないが、「この薬を飲んで。お願い。」と言うような調子で書かれている。その結果、ストロングAAが生まれる。ストロングAAはプログラムを真剣に受け止める。それはあらゆる人間に当てはまる最高の方法論なのである。自分が実際に打ち負かされていることを認める。人間としてこの世界でできることはもう何もなくなっている。どんなバカでも口先ではこれを認めることができるが、ストロングAAはそれだけでは済まない。

そのような認識に至るには、死にそうになる経験が必要である。提案を受け、その通りに受け止めた時、それはストロングAAであり、1941年頃まではそれ以外はなかった。皆無だった!それ以外の方法をとった人は、ただどこかに消えてしまうか、飲酒に戻るだけだった。AAに参加している人は皆、ストロングAAを実践していた。今いるどんなAAメンバーよりも強力だった。それ以外のやり方があるなどとは考えもしなかったからだ。

 

「あまり気にするな」

自然な流れで、ミディアム(そこそこ)AAと呼ばれる、それほど強くないAAが生まれてきた。そしてミディアムAAから、寛容さが発生した。この人たちは、頭を打ち砕くような覚悟をする必要はないし、神とやらにひざまずく必要もないと考えた。それほど積極的になる必要も、真剣になる必要も、強くなる必要もなく、それで回復することができた。

それほどひどい目に遭ったわけでもないけれど、まぎれもなくアルコール依存症である人たちというのがいる、ということは、経験としてわかっていた。その人たちは、ほどほどに実践して、霊的な足場を固めた後に、ストロングAAに成長できればよいと考えたのである。

何年かかったかは定かではないが、だんだんミディアムAAが増えてきて、半数を占めるようになった。それと同時に、ウィーク(弱い)AAと我々が呼ぶ人たちが出てきた。彼らが言うには、「気が向いたらミーティングに行き、酒は3杯くらいで止めて、あまり面倒なことにならないようにしろ。必要以上の嘘はつかず、それ以外は楽しく過ごそう。週に一度はミーティングに行け。神については気にするな。それが簡単にできるのならいい。うまくいかないのなら、時間をかけろ。そして、ステップはあまり気にするな。余計に混乱するからな。」これがウィークAAだ。

ウィークAAが増え、そして広まった理由は、それが人によっては効果があるからだ。ウィークAAでも、正真正銘のアルコホリクスでありながら、酒を断ち、止め続ける人たちがいる。その数は時間が経つにつれてどんどん増えていった。もちろん誰だってそのやり方を選ぶだろう。彼らがそれでやめられるのなら、ほかの人もできるはずじゃないか。

しかし、真実のところは、弱いアプローチで依存症から解放されるというのは、本当に幻想にすぎない。ウィークAAで得られるのは、依存物質からの脱却だけであり、その背後にある深刻な霊的問題は全く解決されない。妥協してしまうと、後になってその代償を払うことになる。そして、大多数は、フェローシップから静かに消えていく。彼らは、何の問題もなく、何の不平不満も言わず、ただフェードアウトしていく。残念なことだ。

私の場合、ミディアムAAを試した。それは推奨されているわけではなかったが、許容されてはいた。第1ステップと第12ステップだけをやり、ミーティングに参加した。それはミディアムAA以外の何者でもない。これでは、このシンプルなプログラムに完全に身をゆだねている、とはとても言えない。

 

原点に戻る

私はAAにやってきて、ミディアムAAについて知ったわけでも、聞いたわけでもないが、それをやってみた。そしてすぐにリラプスした。それから4年間、ウィークAA、ストロングAA、ミディアムAAを試したが、どれもうまくいかなかった。そして、ようやく原点に立ち戻り、更生したストロングAAをやってみた。すごろくで言えば、振り出しに戻ったということだ。そして、再びプログラムを始め、私の回復が始まった。1946年、もう40年になるが、すべてを、完全に、いつ何時も、実践してきた。私は教訓を得た。ストロングAAをやらなければ回復しない人というのがいるのだ。

AAAというグループは大体そんな感じだ。すべてのアディクトのためのストロングAAと呼ぶこともできる。その呼び方は正しいだろう。だが、みんなのためのAAとか、すべてのアディクトのためのAAではない。まず第一に、AAメンバーはアルコホリクスだけに限られ、誰もがそのことを理解している。私たちは、プログラムはすべてのアディクトのためのものだと言おうとした。しかし、すべてのアディクトのためのストロングAAという言い方が正しい。それが、私たちができる貢献だ。

最後に忠告をしておく。私は、だれかれかまわず捕まえて、ストロングAAをやれと言うのは間違いだと思う。まず自分がいるグループで、自分なりに理解したAAを試し、ビッグブックを読み、自分がどうやりたいかを決めることから始めるように。自分が理解する神でいい。もしそれでうまくいかなかったら、どこかでストロングAAを何人か見つけて、ストロングAAがどんなものかを彼らから教えてもらうように。そうすればうまくいく。

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